14. Ginzan

英語表記 Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape
所在地 日本/島根県
登録年 2007年
区分 文化遺産
2007年での登録を目指していた石見銀山は、世界遺産委員会の諮問機関ICOMOSより『普遍的な歴史的価値の証明が不充分』という理由で「記載延期」の評価を受けたため、登録見送りという可能性が高かったが、日本政府や島根県による意見書などで巻き返しをはかり、2007年7月、ニュージーランドのクライストチャーチで行われた第31回世界遺産委員会において、遺産リストに登録された。

石見銀山は、鎌倉時代末期には、すでに発見されていたが、1533年、朝鮮半島の技術者から伝来した精錬技術「灰吹法」により、採掘量は飛躍的に伸びた。大航海時代には、ヨーロッパや南米まで石見銀山の名は知れ渡り、銀は日本の貴重な輸出資源となった。特に16~17世紀には、銀の採掘量は増加の一途をたどり、日本の銀の産出量は、世界の3分の1に相当したとされており、その日本の銀の大半を産出するまでになった。
江戸時代に入ると、石見銀山は、幕府の重要な財源の一つとして、この地域は、幕府直轄となり、周辺地区は計画的に整備されたが、徐々に採掘量は減少し、大正時代に休山となった。
休山後、大規模な採掘や開発が行われなかったため、室町時代から明治時代当時の採掘方法や採掘跡が良好な状態で保存されている。また、江戸時代の面影を残す町並みも、登録地域に含まれている。

銀山柵内
石見銀山遺跡の中心地で、蔵泉寺口番所から龍源寺間歩まで。柵内とは「銀採掘に関わる人々の集落」という意味。銀の生産地、技術者や労働者の住居、寺社、番所などがある。

大森地区
1601年に初代奉行が江戸から派遣され、以降、発展したエリアで、代官所前から羅漢寺までの町並み。
周辺地区
銀の積み出しや資材の輸送に使われた港や街道、銀山争奪にかかわる城跡など。

龍源寺間歩

龍源寺間歩(坑道内部)

大森の街並み

石見銀山資料館(大森代官所跡)

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