ベトナム戦争(section 16)

4.35 土壇場での混乱

4月21日には、グエン・バン・チュー大統領がテレビとラジオを通じて会見を行い、これらの事態の責任を取り辞任することを発表した。後任には、南ベトナム政府の長老の1人で、1960年代に大統領や首相を務めた経験を持つチャン・バン・フォン副大統領が就任した。 

北ベトナム軍の攻撃を受け炎上するタンソンニャット空軍基地穏健派として知られるフォン大統領による土壇場での停戦交渉が期待されたものの、パリ協定発効以降、協定内容に則りタンソンニャット空軍基地に駐留していた北ベトナム政府代表団は、穏健派であるもののチュー元大統領の影響が強いとみられたフォン大統領との和平交渉を4月23日に正式に拒否し、存在意義を失ったフォン大統領は4月29日に、就任後わずか8日で辞任した。後任として同日に同じく穏健派のズオン・バン・ミン将軍が就任したが、ミン新大統領による土壇場での和平交渉は北ベトナム政府代表団によって同じく拒絶された。 

首都であるサイゴン陥落による混乱を恐れたベトナム政府上層部の家族や富裕層は、4月中旬以降次々と民間航空便で国外への脱出を図っていたが、この頃になると、サイゴン北部のタンソンニャット空軍基地にも攻撃が及んできたために、同空港を発着するベトナム航空やパンアメリカン航空、シンガポール航空などの民間航空機の運行や、「オペーレーション・ベイビー・リフト」も4月26日を持って全面的に停止した。 

また、一般市民も南ベトナム政権の崩壊を予測し、南ベトナムの通貨であるピアストルを金やダイヤモンド、アメリカドルに交換したため、ピアストルの価値が暴落した。 

4.36 サイゴン撤退作戦  

国家安全保障会議でサイゴン撤退について討議するアメリカ軍のジョージ・S・ブラウン統合参謀本部議長とネルソン・ロックフェラー副大統領(左)

海中へ投棄される南ベトナム軍のヒューズUH-1ヘリコプター

ヘリコプターでアメリカ軍の航空母艦に脱出した南ベトナム人

「ベトナム統一会堂」と改名された元南ベトナム大統領官邸この時すでに南ベトナム軍の前線は各方面で完全に崩壊し、それとともに北ベトナム軍によるサイゴン市内の軍施設などの重要拠点への砲撃や、北ベトナム空軍機による爆撃などが続いた為に、サイゴン市内の一部は混乱状態に陥った。その後まもなく四方からサイゴン市内へ向けて進軍した北ベトナム軍の地上部隊により、南ベトナム軍のタンソンニャット空軍基地も完全に包囲された。さらに北ベトナム軍の攻撃を受けて同空港の滑走路や各種設備が破損したために、南ベトナム軍機の発着は完全に途絶し、北ベトナム軍と交戦中の南ベトナム地上軍への援護も不可能になった。 

サイゴン陥落は避けられない状況となり、アメリカ政府および軍は4月28日に国家安全保障会議を開き、アメリカ軍や政府の関係者と在留アメリカ民間人、アメリカと関係の深かった南ベトナム政府上層部のサイゴンからの撤退方法についての緊急討議を行い、その後のサイゴンからの撤退作戦である「フリクエント・ウィンド作戦」を発令した。 

作戦開始後、市内のアメリカ政府やアメリカ軍、南ベトナム軍の関連施設からアメリカ軍や政府の関係者と、グエン・バン・チュー元大統領やグエン・カオ・キ元首相をはじめとする南ベトナム政府上層部やその家族、在留アメリカ人らが、サイゴンの沖合いに待機する数隻のアメリカ海軍の空母や大型艦艇に向けて南ベトナム軍やアメリカ軍のヘリコプターや軍用機、小船などで必死の脱出を続け、空母の甲板では、立て続けに飛来するヘリコプターを着艦するたびに海中投棄し、次に飛来するヘリコプターや軍用機の着艦場所を確保した。 

しかし、在留日本人は、アメリカ人や南ベトナム人の撤退を行うことだけでアメリカ軍が手一杯なことや、日本が直接参戦していないことなどから、たとえ日本人がベトナムに残っても北ベトナム政府や市民などから迫害を受ける可能性が低いことなどを理由に、アメリカ軍のヘリコプターに乗ることを拒否された。また、自衛隊の海外派遣が禁じられていたために、欧米諸国のように政府専用機や軍用機による自国民の救出活動が全く行われなかったことや、パイロットや客室乗務員の労働組合の反対で日本航空の救援機も運航されなかったために、混乱下のサイゴンに取り残された。 

なおこの際に、かつてはアメリカ軍とともにベトナム戦争に参戦していた韓国人は、「アメリカ人や南ベトナム人の退去活動で手一杯であること」を理由に日本人と同じくアメリカ軍機による撤退への同行が拒否され、その結果駐南ベトナム大使以下の在留韓国人の殆どが、反韓感情が根強く残るサイゴンに取り残されることとなった。なお、サイゴンに取り残された韓国人は、国際赤十字指定地域とされた市内の病院に避難し迫害を受けることはなかったものの、その後しばらく帰国することができなかった。 

「フリクエント・ウィンド作戦」に関するアメリカ軍の公式記録では、述べ682回にわたるアメリカ軍のヘリコプターによるサイゴン市内と空母との往復が記録され、1300人以上のアメリカ人が脱出に成功、その数倍から十数倍の南ベトナム人も脱出した。なお作戦中に海中投機されたアメリカ軍や南ベトナム軍のヘリコプターは45機に達した。 

4.37 サイゴン陥落と南ベトナム崩壊

4月30日の早朝には、最後までサイゴンに残ったグエン・バン・チュー元大統領ら南ベトナム政府の要人や軍の上層部とその家族、アメリカのグレアム・アンダーソン・マーチン駐南ベトナム特命全権大使や大使館員、アメリカ人報道関係者などの南ベトナムに住んでいたアメリカ人の多くが、サイゴン市内の各所からアメリカ陸軍や海兵隊のヘリコプターで、海上に待機するアメリカ海軍の空母に向けて脱出した。 

しかし、撤退計画がサイゴン市内の混乱を受けて遅延したこともあり、北ベトナム軍はアメリカ政府の国際赤十字社の要請を受け、サイゴンに在留するアメリカ軍人および民間人が完全に撤退するまで、サイゴン市内に突入しなかった。なおアメリカ軍およびアメリカ大使館は、撤退後に北ベトナム政府に渡らぬよう計360万アメリカドルを撤退前に焼却処分にした。 

同日午前には、前日に就任したばかりのズオン・バン・ミン大統領が、大統領官邸から南ベトナム国営テレビとラジオで戦闘の終結と無条件降伏を宣言した。その後残留南ベトナム軍と北ベトナム軍の間に小規模な衝突があったものの、午前11時30分に北ベトナム軍の戦車が大統領官邸に突入し、ミン大統領らサイゴンに残った南ベトナム政府の閣僚は北ベトナム軍に拘束され、サイゴンは陥落。南ベトナムは崩壊した。少数の南ベトナム軍の将校はサイゴン陥落後に自決した。

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