ベトナム戦争(section 11)

4.18.4 西側及び東側諸国における「反戦運動」  

東ドイツの東ベルリン「レーニン広場」で行われた官製デモ同時期には、日本やフランス、イタリアやイギリスなどの戦争当事国ではない西側諸国でも、左翼学生を中心とした反政府、反体制運動と絡めた形で大規模な「反戦運動」が行われており、一種の社会的流行となっていた。これらの国々で行われた運動には、アメリカと同じく、この様な「流行」につきものである文化人や芸能人の参加も多く見られた。 

なお、これらの西側諸国で行われた共産党や共産主義シンパの左翼政党、「ベトナムに平和を!市民連合」などの左翼団体などの北ベトナムに同情的(かつ反米的)な勢力による多くの組織的な「反戦運動」に対して、ソ連が資金的、物理的援助を行っていたことが、戦後ソ連や「反戦運動」の当事者の話によって明らかとなっている。なおこれらの「反戦運動」団体の活動の多くは反政府な要素を強く持ったものであり、実際に様々な違法活動を行っていた。さらにこれらの「反戦運動」団体の構成員の多くが、ベトナム戦争後も反政府活動家やテロリストとして国内外で違法な反政府活動を続けることとなった。 

また、ソ連や中華人民共和国、東ドイツなど東側諸国でも反戦デモ(=「反米、反帝国主義デモ」)が数多く行われた。しかしこれらの東側諸国においては言論や表現の自由がないことから、西側諸国で行われたような自由意思で行われた反戦運動やデモと違い、その全てがいわゆる官製デモであった。 

4.19 テト攻勢  

南ベトナム解放民族戦線のゲリラ兵に占拠されたサイゴンのアメリカ大使館

テト攻勢で南ベトナム解放民族戦線に攻撃され避難する南ベトナム市民

アメリカ軍特殊部隊による、南ベトナム解放戦線兵士の首狩り記念写真詳細は「テト攻勢」を参照

旧正月(テト)休戦を南ベトナム軍とアメリカ軍に打診したものの、体勢を立て直す時間を与えるだけだとして拒否された北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線は、旧正月下の1968年1月29日の深夜に、南ベトナム軍とアメリカ軍に対して大規模な一斉攻撃(テト攻勢)を開始した。

サイゴン市内やダナンなどの基地に急襲を受けた南ベトナム軍とアメリカ軍は、一時的に混乱状態に陥ったものの、すぐに体勢を立て直し反撃を開始した。物量に圧倒的に劣る南ベトナム解放民族戦線は壊滅状態に陥り、2月1日にジョンソン大統領はテト攻勢の失敗を宣言し間もなく戦闘は終結した。テト攻勢で南ベトナム解放民族戦線が事実上壊滅したことにより、その後のベトナム戦争は、南ベトナム政府軍・アメリカ軍と北ベトナム正規軍中心の戦いとなっていった。 

テト攻勢は軍事的には大きな失敗であったが、南ベトナム解放民族戦線のゲリラ兵により南ベトナムの首都のサイゴンにあるアメリカ軍の放送局が占拠され爆破された他、わずか20人の南ベトナム解放民族戦線のゲリラ兵が、「要塞」とも称されたサイゴンのアメリカ大使館を一時占拠し、その一部始終がアメリカ全土で生中継されるなど、北側勢力の政治的効果は高かった。 

また、テト攻勢の最中に、南ベトナムのグエン・カオ・キ副大統領の側近であるグエン・ゴク・ロアン警察庁長官が、サイゴン市警によって逮捕された南ベトナム解放民族戦線の将校の、グエン・バン・レムを路上で射殺する瞬間の映像がテレビで全世界に流された。以前レムはロアンの関係者家族を皆殺しにしていたとはいえ、まだ裁判すら受けていないレム容疑者を、南ベトナムの政府高官自らが報道陣のカメラを前にして射殺する様子は、世界中に大きな衝撃を与え、ベトナム戦争(と南ベトナム政府)に対する各国の世論に大きな影響を与えた。この瞬間を撮影したアメリカ人報道カメラマンのエディー・アダムスは、その後ピュリッツァー賞の報道写真部門賞を受賞した。 

4.20 フエ事件

テト攻勢時に一時的に南ベトナム解放民族戦線の支配下に置かれたフエでは、1月30日から翌月中旬にかけて、南ベトナム解放民族戦線兵士による大規模な政府関係者や市民への虐殺事件「フエ事件」が発生した。この事件はテト攻勢の実施に合わせて半ば計画的に行われたものであり、事前に虐殺相手の優先リストまで用意されていたと言われている[誰?]。犠牲者は、南ベトナム政府の役人や軍人・警察官だけでなく、学生やキリスト教の神父、外国人医師などの一般人にまで及び、アメリカ軍による発表によれば犠牲者全体の総数は2000人以上であると言われている[誰?]。 

テト攻勢の失敗が報じられる中、フエでは述べ25日間にわたってアメリカ軍と解放戦線の攻防戦が続けられていた(なお当時の新聞表記は「ユエ」である)。なおこの事件は、南ベトナム解放民族戦線の組織的な犯行ではないとの説もある(詳細はノート「3.7ベトコンによるテロの増加 3.13フエ事件 について」の項を参照)。 

4.21 ソンミ村虐殺事件

詳細は「ソンミ村虐殺事件」を参照

一方で、アメリカ軍は解放戦線の非公然戦闘員(ゲリラ)を無力化するため、サイゴン周辺などの南ベトナム国内を主として度々村落の焼き討ちと、南ベトナム解放民族戦線兵士「容疑者」への虐殺を繰り返した。

One Response

  1. 披露宴の場所にもよるやろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwリッツ阪急インタ百歩ゆずってウェスティンヒルトンぐらいなら5万3万わかるけど .
    反面、書いている人の許容量を見られてしまうので、個人的 .

    結婚メッセージ友達 一言
    ハワイやグアムなどで家族のみで式を挙げれば安くすむ .
    てか、結婚する人の自己満足何だし、結婚式何て。 .

    カネでなく、ちょっとしたひとことでプッツンなんてのも当たり前。 .
    子供が可哀想だからと離婚しないで踏ん張ってるが .

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s

%d bloggers like this: