ベトナム戦争(section 10)

4.18 反戦運動

4.18.1 南ベトナムにおける反戦運動  

ダラットの基地内を行進する南ベトナム軍の士官候補生

ホワイトハウスでキング牧師などの公民権運動の指導者と会談するジョンソン大統領

反戦デモを行うアメリカの大学生

「反戦パフォーマンス」である「ベッド・イン」を行うジョン・レノン(左奥)戦争の現場である南ベトナムでは、南ベトナム解放民族戦線の後援(つまり北ベトナム政府の後援)を受けた左翼的志向を持つ市民を中心に反戦運動が行われていた。反対に戦争支援の運動も、南ベトナム政府とアメリカの大掛かりな支援のもと数多く行われていたといわれている。 

4.18.2 アメリカ国内における反戦運動

戦地から遠く離れているものの、多くの軍人を戦地に送り、かつテレビ中継により多くの国民が戦闘を目の当たりにしていた「戦争当事国」のアメリカでは反戦運動が高揚していた。 

また、1963年に奴隷解放100周年を迎え、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を中心にした黒人(アフリカ系アメリカ人)による人種差別撤廃闘争、いわゆる公民権運動が活発化していたこともあり、これらの公民権運動が転じて反戦運動に同化するケースも多くみられた(なお公民権法は、人種差別を嫌い公民権法の制定に精力的であったジョンソン政権時代の1964年7月に制定された)。そのような中で、大学自治を求める白人の学生運動が公民権運動と結びつき、アメリカの若者を既存体制や文化から反発させる風潮が次々に作られた。ベトナム反戦運動はこれらの若者の心を捉え、ヒッピーやフラワーピープルなどと共にブームとして一層盛り上がることとなる。 

なお、ベトナム戦争の副産物として、ベトナムで共に戦った黒人と白人の若者がそれまで完全に分け隔てられていた人種間の融和の促進剤となっていった(ベトナム戦争は、アメリカ史上初の黒人と白人が同じ戦場で同等の立場で戦う戦争でもあった)。この点についてキング牧師は生前「皮肉な結果である」と述べていた。

1967年には最大で50万人を超えるアメリカ兵がベトナムに投入されたが、ソ連や中華人民共和国による軍事支援をバックに、地の利を生かしたゲリラ戦を展開する北ベトナム軍および南ベトナム解放民族戦線と対峙するアメリカ軍および南ベトナム軍にとって戦況の好転は全く見られなかった。さらにアメリカは、莫大な戦費調達と戦場における士気の低下、国内外の組織的、非組織的な反戦運動と、テレビや新聞、雑誌などの各種メディアによる反戦的な報道に苦しむことになった。1967年4月にはニューヨークで大規模な反戦デモ行進があり、10月21日に首都のワシントンで最大規模の反戦大会が催された。さらに翌年1月にはテト攻勢(後述)によって反戦運動は大きく盛り上がった。 

これらの反戦活動はベトナム戦争で戦うアメリカ軍兵士の士気の低下にも大きく影響し、1971年には、ベトナム戦争にも参戦していたアメリカ海軍の正規空母「コーラル・シー」の艦内で乗組員による「Stop Our Ship(SOS)」と名づけられた反戦運動が計画され、少なくとも1000人が参加した。さらに同年11月6日には、同艦の乗組員300人がサンフランシスコ市内で反戦デモに参加した。 

除隊した帰還兵による反戦運動も盛り上がりを見せた。1967年にはベトナム反戦帰還兵の会(VVAW)が結成された。VVAWは最盛期には30,000人以上を組織化し、ロン・コーヴィック(『7月4日に生まれて』の著者)やジョン・ケリー(2004年民主党大統領候補者)のような負傷兵が中心となって反戦運動を行った。しかし、アメリカ社会の反応は冷たく、12度逮捕されたコーヴィックのように多くは弾圧された。 

4.18.3 著名人による「反戦運動」

なお、アメリカでは作家や評論家などの文化人や、俳優や女優、歌手などの芸能人による反戦運動も盛んに行われた。 

その代表的な例として、1970年のビートルズ解散後のイギリス人歌手のジョン・レノンも、ビートルズの解散後に活動拠点を置いていたアメリカを中心に「反戦活動」を行った。この際に行われた「ベッド・イン」などの過激なパフォーマンスは、マスコミも大きく取り上げ、若者への影響力が強かった。アメリカ国内においても、レノンの行う「反戦活動」に対して共感する若者は多く、当時レノンがイギリスで大麻所持により逮捕されたためにアメリカへの再入国が許可されなかったことを、「レノンの『反戦活動』による若者への悪影響を嫌うニクソン政権による嫌がらせ」と解釈する向きもあった。 

また、1972年に「反戦活動家」のトム・ヘイドンと共に、「アメリカ兵のための反戦運動」と自称して北ベトナムを訪れたアメリカ人女優のジェーン・フォンダは、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた高射砲に座り、北ベトナム軍のヘルメットをかぶり高射砲を覗き込むポーズをとった。この時の写真は内外のマスコミを通じて世界中に配信され、この後長年に渡りベトナムから帰還したアメリカ軍兵士やその家族を中心に「裏切り者」や「売国奴」、「ハノイ・ジェーン」などと批判する勢力も大きかった。フォンダは1978年には、ベトナム帰還兵の問題をテーマにした主演映画「帰郷」(Coming Home )で、2度目のアカデミー主演女優賞を受賞している。 

この様ないわゆる著名人による「反戦活動」の中には、単に流行に乗っただけのものや、パフォーマンスの一環として行われた多分に売名的な要素が含まれているものもあったと思われる。

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