歴史

ハノイのリー・タイ・トー像
ハノイのリー・タイ・トー像

古代史
1000年におよぶ中国の北部支配は10世紀頃にようやく終わりを告げる。ハノイがタンロン(昇竜)として成立するのは11世紀、リ・タイ・トー(太祖李)による。中部にはミーソン遺跡で有名なチャンパが、インド文化の影響を受け15世紀中葉まで栄えた。日本人の阿倍仲麻呂は8世紀、唐からの帰国途中に遭難、ゲアン地方沿岸に漂着し、その後北部ベトナムを統括する安南節度使に就いた。

ホイアンの福建会館
ホイアンの福建会館

中世・近世史
ベトナム人(キン族)がチャンパを圧迫して南進を始めた16世紀、日本人は交易のためにベトナム中部の沿岸地帯に貿易目的で来航、ホイアンには通称「日本橋」や日本人町が形成されて賑わった。さらに17世紀後半から南部一帯に華僑が大量に入植し、現在までつづく勢力を確立した。この証跡として各地に残る出身地ごとの会館などがある。

日本の高専、南洋学院の旧校舎
日本の高専、南洋学院の旧校舎(現存)

近現代史
カンボジアやラオスも含む仏領インドシナ(仏印)は19世紀末に成立、植民地支配下でヨーロッパ文化が根付いた。南部の華僑はメコンデルタの米を扱うことで繁栄し、チョロン(現ホーチミン市5区、6区)一帯には精米工場が建ち並んだ。第二次世界大戦直前、日本は北部・南部仏印に軍隊を進駐させ、サイゴンには日本の高等専門学校も誕生した。

独立の英雄ホー・チ・ミン
独立の英雄ホー・チ・ミン

第二次世界大戦終結後の1945年9月、ホー・チ・ミンがハノイで独立を宣言、1954年のジュネーブ協定を経て南北に分裂した。東南アジアの共産化を怖れるアメリカはインドシナに介入、ベトナム戦争が始まった。1975年のサイゴン陥落、翌年の南北統一後、中国との戦争、カンボジアへの軍駐留などでベトナムは国際的に孤立、経済は疲弊した。1986年、起死回生の打開策が第6回共産党大会で採択、これが世に知られるドイモイ(刷新の意)のスタートとなり、高度経済成長が始まった。

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